フラット化に飲み込まれない、自分だけのストーリーを


03フラット化に飲み込まれない、自分だけのストーリーを

僕が育ったストリートにおけるスニーカー市場は、常に新しさを求める潜在的需要に応える形で成長してきた。とくに’90年代はマーケットが未成熟だったため、世の中の流れに沿うこともあれば、天と地が入れ替わることで、予期せぬ変化を生みだしていた。例えば日本の企業に打撃を与える円高は、並行輸入のバイヤーにとって追い風だった。95年当時、1ドルが100円を超えていたら、彼らは全米中のエア マックス 95を駆逐しなかっただろう。ブームは社会現象にまで至らなかっただろう。

グローバル化が推進され、世の中がフラット化し、価格の統一化が顕著な現在だが、それでもアジア諸国の訪日人による「爆買い」が日本のブームを支えている現状を見逃すことはできない。ありがたいのは、’90年代に日本人が「フットロッカーで買ってきた」という付加価値を、海外の人が持ってくれていることだ。「日本のアトモスで買った」というストーリーが、彼らを充足させている。だからもっと日本の小売店がブランドになるように、メーカーが支える組織構図を確立して欲しい。今一番危険なのは、売れる品番を絞った、後先を顧みない展開だ。ブームを仕掛けるのはメーカーではなく、いつだってストリートだと思っている。SNS依存を正当なマーケティングに使うだけでなく、世の中を逆手にとった口コミ的な情報発信をする、第三者のアプローチが必要だ。情報をインスタントに世界中に届けられる今、段階的なリーク&リーチより、日本にしかない価値を広げられたら、もっとスニーカーは楽しくなると思う。事実、コンバースやプーマの独自的な展開は、海外と日本の双方向から注目されていて、思わぬヒット作を生むことがある。

作られたストーリーに乗っかるより、ユーザーがストーリーを作れる世の中に。個々の体感が異なるランニングシューズは、その可能性を秘めていると思う。ネット依存も楽しいが、外へ出てDOをすれば、新しいスニーカーの価値観が生まれる。千差万別の趣味嗜好は、ラインナップの幅を広げてくれる。隣の人と同じ人気スニーカーを履くことで安心する価値観を、そろそろ終わりにしようではないか。自分だけのストーリーを個々にもっていたから『東京スニーカー史』は紡がれてきたのだ。

editor / masayuki ozawa
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